おせち料理を重箱に詰める意味とは?意外に浅いおせち料理の歴史
おせち料理といえば重箱。
重箱といえばおせち料理。
これくらい、おせち料理と重箱の関連性って
高くないですか?
黒塗りの重箱は、なんとも高級感があって、料理の質も
グンとアップして美味しそうに見えますよね(^^)
でも、「なんで重箱に入れるんだろう・・・」と
私は思ってしまったわけです(^_^;)
そこで、今回はおせち料理を重箱に入れる意味と
重箱の段数についてうんちくをまとめてみました!
おせち料理を重箱に入れる理由とは?
重箱に積めるようになったことの意味として最も有名なのが「幸せを重ねる」というものです。
おせち料理の一品一品に込められた願いも語呂合わせや、
見た目からの連想に由来するものが多く、特にお正月の
飾りや料理にはそういった考え方が見て取れます。
日本人が、いかにお正月を重要視して大切にしていたかが
読み取れるような気がしますね!
意外に短いおせち料理の歴史!
最初は重箱に入っていなかった!
おせち料理の歴史を探ってみると、おせち料理が重箱に詰められるようになったのは、江戸時代も末期の頃でした。
おせち料理は、奈良時代の頃から「御節供(おせちく)」というおせち料理
の元祖があり、主に朝廷のお正月の宴で食べられていました。
ですが、この頃から江戸時代の末期まで、「料理はお皿に盛り付けられていた」
のです。
江戸時代の頃は、呼び名も「おせち料理」ではありませんでした。
関東では「食積(くいつみ)」
関西では「蓬莱飾り(ほうらいかざり)」
などと呼ばれ、床の間などに飾っていたという
ことです。
その後、江戸時代後期になって「御節(おせち)」という呼び方が登場します。
当時は従来通り御膳などに備えたものを「おせち」と呼び、重箱に詰めたものを「食積」
と呼び、分けて用意していました。
まるで「観賞用」と「食べる用」ですね(^_^;)
その後、明治、大正と時代が進むに連れて、「おせち」と「食積」が次第に
一つになっていき、現在の「おせち料理」の型が確立したと言われています。
重箱はサランラップのかわり?
おせち料理は、「お正月の間はお母さんもゆっくり休んでもらう」という意図もあって、保存の効く煮物などの料理が多いです。
ですが、料理自体保存が効いたとしても、保存する容器が問題です。
現代であれば、残った料理はラップなどをして保存できますよね?
しかし、江戸時代から戦後すぐは、ラップなどはありませんでした。
そこで大抜擢されたのが重箱です!
重箱は一番上にフタをすれば、2段目以降は積み重ねていくことで
フタの代わりになりますよね(^^)
重箱に入れておけばラップいらずで食品を簡単に保存できるわけです!
しかも積み重ねて省スペースというメリットまであります(^^)
重箱には「保存に向いた容器である」ということと
「積み重ねてスッキリ収納できる容器である」という2つの点で、
とても便利なものだったという重宝される理由があったんです!
おせち料理の重箱の段数には決まりがあるのか?
正式なおせち料理は四段!
近年のおせち料理を見てみると、最も多いのが重箱を3つ重ねた「三段重」です!
ですが、この三段重はおせち料理の歴史から見ると、正式な段数ではありません!
段数の決まりには「四段」だったり「五段」だったりと諸説ありますが、
最も有力な段数は・・・
四段です。
これは、春夏秋冬を表すと言われていたり、「完全」や「安定」を
意味していて縁起がいいとして日本人に好まれている「三」という数字を
越えてさらに縁起が良いからという理由から来ていると言われています。
一方で日本では「四」の「し」という音は「死」を連想するもの
として、忌み嫌われていますので、重箱の四段目のことを
「与の重」と表記して「よのじゅう」と呼んでいます。
重箱の段数の呼び方は上から以下のとおりです(^^)
1段目・・・一の重
2段目・・・二の重
3段目・・・三の重
4段目・・・与の重
最後に
おせち料理が重箱に詰められるようになってから、まだそんなに歴史が長いわけではないという事実に
ちょっと驚いています。
重箱自体が、歴史を感じさせる器ですからつい平安時代
くらいからあるものだと思っていました(^_^;)
重箱は見た目も美しく、機能的な日本の伝統文化だと思います。
重箱を使う機会は、現代ではとても少なくなりましたが、
後世にも伝えていきたいですね(^^)
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