端午の節句!ちまきを食べる意味は?かしわ餅より正統派?
端午の節句は、元々は中国生まれの行事です。
今回は、端午の節句(こどもの日)の由来と、端午の節句に食べる「ちまき」の意味・由来について調べました!
関東では「かしわ餅」が主流なので、「ちまき??」って思うかもしれませんが、ちまきは「せいくらべ」の歌にも出てくるくらい端午の節句には欠かせないものなんですよ!
端午の節句の由来、ちまきが食べられるようになった理由
由来は、約2300年ほど前までさかのぼります!当時の中国には、国王の側近に屈原(くつげん)と呼ばれる、詩人・政治家がいました。
国王と同じく、国民の支持を集めていた屈原でしたが、とある出来事から、陰謀によって失脚、国を追われる身になってしまいました。
屈原はこのあと、悲しいことに川に身を投げてしまいます・・・。
なんとも悲しい出来事ではあるのですが、今の日本の端午の節句は、この屈原の死によって生まれた行事だと言われています。
この川に身を投げた日が、5月5日です。
しかし、支持していた国民の中には屈原が身を投げたあともまだ、屈原を信じる人々がたくさんいたのです。
その国民たちは屈原が身を投げた川へ行き、川の中の魚が屈原の身体を食べないように工夫しました。
その工夫の1つが、「ちまき」を投げて魚にエサを与えることです。
これが、端午の節句にちまきが食べられる理由です。
毎年命日にあたる5月5日には、屈原の供養のための行事が開かれたそうです。
次第にこの「川にちまきを投げる行事」は供養ではなく、厄除けの意味で行われるようになっていきました。
日本には奈良時代に厄除けの行事として伝わった!
日本に端午の節句が行われるようになったのは、奈良時代です。この時も既に、”厄除け”として、ちまきが食べられていました。
なぜ、中国で厄除けの行事になったのかは定かではありませんが、
一説によると、”5月になると徐々に暑くなり、体調を崩す人が多かったから”とされています。
今より医療は当然発達していないので、昔の人々にとって端午の節句のある5月は、厄年ならぬ、厄月だったのかも知れませんね。
ちまきを食べるのは、「無病息災の意味が込められているから」だそうです。
端午の節句に食べる柏餅にも健康の意味が込められているので、端午の節句には、ちまきと、柏餅、両方食べるのもいいかもしれません(^^)
しかし、主に関東の人は、ちまきを食べる習慣がなく、関西の人は、柏餅を食べる習慣はあまりないとされています。
これは、中国から伝来した奈良時代の都は今の奈良県であり、関西圏だからだと言われています。
柏餅を食べる文化は中国にはなく、日本独自の文化のようです。
ちまきが持つ複数の意味
端午の節句に食べるちまきは、中華料理のちまきとは別物。うるち米の団子を、笹の葉などで包んだもので、中にあんこが入っていたりして甘いものです。
かしわ餅の変形バージョンのような感じですかね(^_^;)!
「御所(ごしょ)ちまき」や、「内裏(だいり)ちまき」と呼ばれることもあります。
主にこのちまきを日本において作っているのは和菓子屋さんで、中華料理の三角形のちまきや、朝比奈ちまき、餡ちまきとは意味も形も異なります。
有名なのは京都のちまきです。古くから伝わる老舗の和菓子屋さんなどで作られています。
また、羊羹(ようかん)や麩まんじゅうを笹で包んだものも、”ちまき”と呼ばれることがあるようです。
ひとくちに”ちまき”といっても、いろいろな意味で使われているんですね。
関東の方にとっては馴染みのない習慣かも知れませんが、端午の節句の日にちまきを食べる意味は、本来の意味でも、正しいように感じました。
もちろん江戸時代頃にできたと言われる、かしわ餅が間違っているという意味ではないですが、
「かしわ餅」、「ちまき」にそれぞれ子供の健康・成長が願掛けられているので、どちらも食べて、子供の健康・成長を祈ってもいいですね!
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